犯罪にあわれた被害者の遺児たちに幸せを

犯罪被害救援基金

被害者等の声

 当基金が発行している「ふれあい」に寄稿された奨学生・保護者等からのお便りの一部をここに紹介します。それぞれの方々が苦しみながらも前向きに頑張っておられる様子が赤裸々に伝えられております。ご一読いただければ幸甚です。

奨学生

『留学』 愛知県 大1
 渡米してから早三か月が経ちました。こちらに来て色々感じた事があります。まず最初に痛感したのが、何事も自分一人でやらなければならないという事です。そこで言語の壁が…と言われるかも知れません。ですが、実際やらなければ何も始まらないのです。その時初めて頼れる人の大切さに気づかされました。そのあと語学学校に通い始め、色々な国から来たたくさんの留学生と交流することができたのですが、そこでは自分の国の素晴らしさを自信を持って発言する他国の生徒に驚きました。
 このような国際の場で自国の文化、歴史、風習に誇りを持って発信する事に意味があるのだと実感しました。そして語学学校が終わり、今は大学へ向けて準備を進めているところです。大学では社会学を学ぶつもりで、社会というものは国によってそれぞれ違う事に気づき、学ぼうと思いました。
 こちらに来ていっそうその国を作り上げている社会とはどのようなものなのか改めて学びたくなりました。
 最後にこのような給付金のおかげで色々な経験をさせてもらってありがたく思っています。この様な形で支えてもらっている事に感謝し、これからの大学で出会う人や様々な経験を大切にし、生きていきたいと思います。

保護者

『卒業文集を読んで』 東京都
 四歳一ケ月で母親を亡くし、私達祖父母と生活を始め、九年目を迎えました。
 保育園の二年半は、明るく元気一杯に過ごしました。そして、全学年一クラスの小さな小学校では、沢山のお兄さんお姉さんに囲まれ、楽しそうに通学していました。
 が、突然「私には家族がいない」と言い出し、驚かされました。図工の課題が、「母の日に因んだ家族の絵」という時の事でした。「一つの家で一緒に楽しく生活している人達を家族って言うのよ。」と話しをした様に思います。
 それから六年経ち、今年三月に無事小学校を卒業致しました。
 四月からは中学に通い始めました。大きなバッグを背負い、初めての電車通学です。私も毎朝お弁当を作って送り出しています。新しい友達も出来、今は夢と希望で一杯です。色々な事に挑戦し、それが将来に繋がっていくと良いと応援しています。
 いつもご支援頂き、心より感謝しております。どうかこれからも宜しくお願い致します。

卒業家庭

『八月になると』 東京都
 毎年八月になると、思い出します。主人が下請け業者につかまり、リンチされ、殺害されたよだという事。その報せを聞き、私は四、三、〇才の子を連れ、猛暑の中を、警察に行き、主人を助けて欲しい、さがして欲しいと歩き回った日々を、四十年近く経た今も、生々しく想い出します。
 当時、三十六才だった私は七十四才です。理不尽な運命に悲しみと、いきどおりの年月でした。おかしい事があっても、私は笑ってはいけない人間なのだと思い込んでいました。
 事件後、二十年位して、海外の本で、犯罪被害に遇われた遺族を取材した中に「おかしい事、おもしろい事があったら、ふつうに笑っていいんだよ、自分はこの様な悲惨な事件に遇った人間だから、おかしい事があっても笑ったら駄目なんだと、自分の感情を押し殺さなくてもいいのです」という文を読み、ほっとして救われました。
 それから、日常生活の中で、普通に笑えるようになりました。二十年かかって、やっとふつうに笑えるようになりました。日々、悲しみの中をさまよい歩く自分を、どうやって扱うか自問でしたが、答えは見つかりませんでした。
 様々な解決できそうもない事もありましたが、時間が一番の特効薬でした。しかし、やはり私自身の大きな悲しみは薄れていきましたが、決して消える事は無いでしょう。そう思うと、これからの人生は、つらいと思うのですが、最近、こうした体験をしたからこそ、できる何かがある筈だと思うようになりました。それは、人にこうした悲惨な思いを絶対に与えないで生きる事、その想いを私の子、孫、子孫に何代、何十代にもわたり深層意識の中に伝える事は、できると思います。又、人に喜びを与える人間として生きる、それらを身をもって子供達に示してきたので、少しは伝わったのではないか…、決してつらいだけの人生ではなかったと、最近思えるようになりました。
 みなさまのこれから御多幸を祈念いたします。

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