犯罪にあわれた被害者の遺児たちに幸せを

犯罪被害救援基金

被害者等の声

 当基金が発行している「ふれあい」に寄稿された奨学生・保護者等からのお便りの一部をここに紹介します。それぞれの方々が苦しみながらも前向きに頑張っておられる様子が赤裸々に伝えられております。ご一読いただければ幸甚です。

奨学生

 『読書』

 みなさん、こんにちは、夏休みに入りました。

 でも、コロナだからどこにも行けないので、家にいることが多くなりました。

 いままで読書をするきかいがあまりなかったので、このきかいにたくさん本を読むようになりました。多いときは、1冊読んでいます。やっぱり本を読んでいると楽しい気持ちになります。

 これからもいろんな本を読んでいきたいと思います。

『皆さんにありがとう』 

  僕は祖父母、叔母にとても感謝しています。

 当時7歳だった僕をずっと協力して育ててくれました。祖父は僕を育てるために定年しても働いてくれ、祖母は弁当の卵焼きを毎日作ってくれました。特に叔母は僕が生まれた時からずっと母とケンカをしながらも、幼稚園や学校行事に来てくれました。僕が寂しくないように…との思いだったからでした。

 叔母は大切に大切に僕を育ててくれています。母は僕を溺愛していました。それと同じくらいに叔母も僕を溺愛してくれています。例えば、誕生日のメッセージカードをラミネートして職場に置いていたり…。「やめて」と言っても無駄でした。他には、僕は今、インターン活動をしています。良いことばかりではありません。そんな僕に「私を喜ばそうと思って、嬉しいことばかり報告しようと思わなくていいよ。頑張って努力して、勉強しているのも分かっているから、悔しいことも報告しておいで。一人でため込んだりしないように、全部吐き出していいよ。」と介護、仕事と毎日大変なのに、LINEをくれました。叔母は僕に弱音を吐くこともあります。僕ができることは、返事をすることだけです。一言だけの返事を するだけで、叔母は頑張れると言います。そして返事があることで僕の安否確認をしているようです(笑)。友達であり、先輩であり、母親代わりであり…いろんな顔を持っている叔母です。僕には母親が二人いるのかもしれません。いや、二人ではないですね。小学生の時からずっと見守ってくれている養護教諭の先生、母が亡くなった時の担任の先生、被害者支援センターの皆さんetc. 僕にはたくさんの家族がいます。

 きっと僕が寂しくならないように今でもそうしているのかもしれませんね。

 僕を支えてくれる皆さんにこの場を借りて…

「本当にありがとう。これからもみんなにもらった愛情を忘れずに生きていきます。」 

保護者

『十六年の月日』 

 いつも支援をいただいてありがとうございます。

 妻が絞殺されて、16年の月日が流れました。

 当時4才だった娘も今年、成人式を迎え長すぎて短い月日だと感じてます。

 加害者の憎しみもありましたが、男手で育てる不安と先が見えない自分との戦いででもありましたが娘は心が折れる事なく育ってくれて現在は、大学3年生で勉学に励んでいます。子どもを育てる事は大変でしたが、周りからの手助けもあり、良い会社に恵まれてここまでこれた事は感謝の気持ちでいっぱいで有り難いと思ってます。

 いつも思っている事は、現在はあまりにも殺人事件が多い事と、普通の人が何も感じてなくて人を殺してしまう現状に何も言えない気持ちでいます。

 命の大切さを感じて生きてもらいたい事と、先の事をしっかり考えて行動をしてもらいたいと思ってます。

 加害者の男性も来年は17年の刑期を終え、出所してきますが、罪を憎んで人を憎まずでしょうか、今度は社会人としてしっかり生きてもらいたいと思ってます。

『生きる励みに』  

 いつもご支援ありがとうございます。

大切な娘は、幼い子供を2人残して天国に行ってしまい、今年は七年忌を迎えました。

上の子は6年生になり「命を助ける人になりたい」の夢を持ち、中学受験に向けて励む夏休みでした。

 子どもにとっては親や家庭が全て。どうか強く生きてゆけるようにと、の願いを一途に思い過ごしています 

主人と二人がかりで、早起きをして、朝一緒に食事をして、バタバタと、支度を手伝い、学校へと送り出す。

そんな家庭での毎日の生活が、普通のように過ぎてゆく、孫たちの心の中を覗いてみたい。寂しい日も、つらい日も、あるだろうにと、寝顔を覗き込んで、抱きしめて、川の字に並んで寝ています。私たちは、この子たちに元気をもらい、生きていく励みを感じます。

そして、親になった私の娘も、息子も、祖父母ながら子育てをしている私たちに頼ることなく、しっかりと家庭を築き。孫たちを遊ばせてくれます。

私たちの生活も、大きく変わったけれども、神様は越えられない試練は与えない。私たちファミリーは、娘の事件以来、優しさのシャワーが降り注ぐ、絆の素敵なファミリーになりました。

孫たちが健全に成長するように心から願っています。これからも全員が元気に過ごせるように、頑張ります。

卒業家庭

『あの時から四十八年』 

 夫を突然奪われ、すでに48年が経過、当時子供たちは5才と4才、私29才の時でした。

 犯罪被害救援基金の奨学生として援助を受け「ふれあい」の機関紙は1号からのおつき合いで長い期間励まされてきた一人です。子育て中はいろいろありましたが、支援のおかげでなんとか現在に至っています。ありがとうございました。お陰で子供たちもおじさん、おばさんになり、私もすっかりおばあちゃんになってしまいました。

 当時の私は、犯人もわからず(未解決)、なすすべもなく「犯罪被害者に国の補償を」と被害者の一人としてその運動に加わり、制度はできましたが遡及せず、運動して来た私たちには、何の補償もなかったので救援基金には本当に助けられました。

 現在、子供たちにもそれぞれ孫(子供)が3人ずつ、その一人大学生の勉学、クラブに励む孫娘が、一人暮らしの今の私を見て、「私も早くおばあちゃんみたいな生活がしたい。」というのです。何も知らない孫たちには、幸せなおばあちゃんに見えたのでしょうか。びっくりするやら、何となく安心し報われた気がしました。

 それもこれも、支援があり「ふれあい」でお互いの励ましや癒しがあったからだと思います。 

 本当にありがとうございました。

 今、コロナウイルスで大変な時期ですが、体が資本です。皆さんもお体に充分気をつけてください。

『今思う事』  

 亡き元夫の別れは、私が28才、子供2人が保育園でした。何が何だかわからず、ただただ泣いて、主人と私の実家に電話して両親に来て頂きました。子供達は寝ていましたし、後は覚えていません。葬式等々も全部両親にして頂いて、私のする事は、今後の生活です。

 高い家賃のマンションは出て、市営住宅に、車も売って軽の中古に、色々ランクを落とし、その度に涙が止まらなくなり、でも、自分の職も探さねばなりません。

若い頃は、私の人生、本でも出せるな…。なんで私だけこんな苦労するんだ…と思いながらひとつひとつこなしながらの生活で廻りも見られなかった。長男が中学に入ってすぐのテストで一番取った時は、えっ‼そうなの、そんなにすごいの?知らなかった。嬉しくて親戚中、電話したのを覚えている。

 でも、2人の男の子を大学にやる為働きましたが、基金さんからの毎月の援助は本当に助かりました。心よりお礼申し上げます。

それに廻りの方が色々助けて下さいました。

 警察からは、犯罪被害救援基金の事と手続き、市からは年金の件、又、近くの方々は、保育園から児童館までの迎え。

 今思うと、本当に色々お世話になったなぁ…と思います。

 私は一生懸命仕事をするだけで良かった。私も子供達も健康だったし、何ひとつ心配する事なく育ち、現在は家庭を持っています。亡き元夫の事を考え、お参りするのは一年に一回だけで現在は、子供、孫、自分の体の事を考えながら、感謝しつつ平凡な生活を送っています。

 地区のボランティアには参加しつつ、このまま平凡を願いつつの生活です。基金を立ちあげる方々には本当に本当に頭が下がります。ありがとうございます。

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