犯罪にあわれた被害者の遺児たちに幸せを
犯罪被害救援基金
当基金が発行している「ふれあい」に寄稿された奨学生・保護者等からのお便りの一部をここに紹介します。それぞれの方々が苦しみながらも前向きに頑張っておられる様子が赤裸々に伝えられております。ご一読いただければ幸甚です。
奨学生
『学校での楽しみ』
学校のべんきょうですきなのは算数です。ほかには、図工と体いくもすきです。なわとびもとべます。走るのもすきです。
図工は絵をかいたり、ものを作ったりするのが楽しいです。タブレットでべんきょうをするのもすきです。
うちの学校は、ほぼ月一でメディアが来ます。わたしはうつれませんが、「またかぁ」と思いながらそばで見てます。もうなれました。
今はコロナでもあり、オンラインじゅぎょうがあり、けん外のお友だちと話をするのが楽しいです。
3年生になったら、りか、しゃかい、えいごのべんきょうもあるのでたのしみにしています。
まだ一人で学校には行けませんが、6年生では、一人で行けるようにしたいです。
『経験を大事に』
私は物心付く前に母を亡くし、父が一人でどれだけの苦労を負ってきてくれたのか幼い頃の私には理解など到底出来ずに沢山のわがままで父を困らせてきました。恥ずかしながら、私にも当然反抗期があり、幾度となく、父を悲しませてきたと思います。それでも立派に私を育ててくれた父に、最近になり、漸く私にも少しずつではありますが、理解する事が出来るようになり、その度に自分はやっと大人の階段に足を踏み入れ出せたのだと思います。また私が未熟ではありますが、こうして成長を感じられるのは、金銭的に多くの支援をして頂きました皆様のお陰であるという事も強く感じております。家族共々感謝しております。本当にありがとうございます。
私は18年間という短くも長い人生の中で将来の夢といえる一つの将来就きたい職業を見つける事が出来ました。こうして私が将来を諦観せずしっかり見据えられているのも支援があってこその事だとしっかり心に留めていきたいと思っております。
私が将来金銭的に恵まれた際には、私の様な状況に置かれた子ども達の力に少しでもなれる様努めたいと思います。
私は母を亡くした事を今でも後悔しています。もっと多くの事を母からも学びたかったと思いますし、もっと楽しい事も喜びも、自分に子どもが出来た時には、「孫だよ。」と言って、幸せも分かち合いたかったです。
しかし、母を亡くして悪い事が全てだと私は思いません。母を亡くした辛い過去があったからこそ、人を守れる力が欲しいと思う事が出来たし、辛い過去があったお陰で一日一日やり残しを無くす事は不可能だとしても、大事に過ごす意識が芽生えたと考えるからです。
まだまだこれからの人生、楽しい事嬉しい事もたくさんあると思います。しかし当然ながら、心を折られる様な辛い事や逃げだしたくなる様な事も沢山あるとも思います。そういった事、今回の事が無駄だったと思わない様、経験として、大事にしてこれからも生きていきたいと思います。
最後になりましたが、私達への沢山の御支援、本当にありがとうございます。
保護者
『孫が成人するまでは』
いつもお世話になってます。ありがとうございます。
あれから13年もたちました。
孫も義務教育の9年間、この間いろいろありましたが、学校へ行く事をいやがる事もなく学校へ行きました。まずこれは大変助かりました。
今年は高校生になります。まだまだいろいろあると思いますが、とにかく私たちも年をとりましたが、孫が成人するまでは、元気で居たいといつも二人で話しています。
本当にありがとうございます。
『素敵な女性に』
いつもご支援いただき感謝しております。
妹が亡くなり丸3年が経ちました。あっと言う間の3年でした。月日が流れるのは早いです。でも、まだこの生活にはなれません。いまだに「ただいま、あのね。」と妹が帰ってくるのではないのか、ひょっとしたら、あれは夢だったのかと思う時もありますが、現実は妹は帰ってはきません。
当時4才だった妹の子は今年の4月で小学校3年生になります。いまだ一人で学校にも行けず、私の母が付き添い一緒に通ってます。少しずつではありますが、食事もできるようになり、また、あれもこれもやりたいと、したい事も増え、その都度、母がなわとび、絵やらと教えてます。勉強も頑張ってます。なにより声が出てるのが救いなのかもしれません。
やはり「お母さんにあいたい。」と言われる時は言葉に詰まり、心が胸が痛いです。
そして、やりたい事があっても、やはり制限があるので、名前が出る作品等々、県展にしても出してあげる事が出来ないことです。被害者なのに全て制限をしないといけない事、のびのびとした生活が出来ない事です。その為、子供に不自由な思いをさせてしまっている事が心苦しいです。少しでも何でも出来るあたり前のことが出来てません。させてあげたいです。
でも、被害者の気持ちは、被害者にしか分かりません。
その中でも、学校の先生、教育支援センターの先生、カウンセリングの方々にお世話になりながら、出来る事をひとつひとつ増やせて思い出やらが出来、あの時幼子だった子が娘から大人へと成長して一人でも何でも出来る素敵な女性へと成長してくれる事を願うばかりです。
卒業家庭
『季節の移ろい』
季節は移ろいます。お正月だと思っていたら、1か月があっという間に過ぎて、もう月が変わりました。花粉も飛びだしているようですし、花粉症の方にはつらいシーズンが到来します。この間、天気予報ならぬ、花粉予報がありました。気象予報士の方によると花粉は2月半ばから51日間続くらしいです。
2月半ばの、51日後というと、4月上旬までになりますか。花粉症対策は怠れません。我が娘はかなり重症の花粉症で、1月下旬には耳鼻科を受診していました。もちろん鼻炎等のお薬を処方してもらうのですが、先生も心得たもので、あるいはIT化が進んだのか、画面を確認して、昨年と同じお薬を、2か月分処方してもらったようです。今年は昨年よりもかなり飛散する花粉の量が近年に無く多いとか、症状が軽くすむと良いのですが。
季節は移ろいますが、思いと記憶が変わらないものがあります。私と娘にとっては、あの事件から34年間経っても、記憶が薄れることはありません。今も鮮明に覚えています。辛いから、忘れようと考えたことは、おそらく無かったと思います。何でですかね。あの時、4歳だった残された娘を育てるために、することが山ほどあって、また、その大変さから逃れることは到底考えられませんでした。生まれながらにハンディキャップをもって、生を受けたこの娘のために、母親も父親も、奔走していました。それが突然、片親になって、途方に暮れましたが、手を抜くわけにはいかなかったのです。その時から、20年くらいは、ただ夢中で走り続けたような気がします。人は弱いものですが、逆境になると、思わぬ強さを発揮するものなのだな、と今は思います。
今年ももう少しで3月となり、お彼岸が近づきます。お彼岸にはお参りに行きます。年に3回、春と秋のお彼岸、それに命日の月に、お参りに行くことを欠かしたことはないと記憶しています。いつも娘の選ぶ綺麗なお花を買い求めて、訪れます。何事か話しかけるのが常です。今年はお彼岸には少し早い、3月13日を予定しています。
私は昨年、古希を迎えました。これから先、何年同じことを続けられるか、天のみ知るですが、続けていきたいと思います。
まだまだ、コロナ禍も終わっていないと感じています。皆様ご自愛ください。